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「ちょこざいなっ!」

お酒を飲みながら日々の雑感をダラダラとつづるブログ

戦争の現実味

現在、戦争法案が国会で審議されています。

戦争なんてなんとなく遠い国の出来事だったり、自分に関係ないことのように思えたりします。

私も危機感に突き動かされ関心を持ち続けている問題ですが、自衛隊の方たちが持ってる危機感にはまだまだ程遠いんだろうと思います。

というわけで、ある3人の話から戦争とは、また彼らが派遣されてきた、そしてこれからも派遣されるであろう紛争地域とはどういうものであるか、ということを考えていきたいと思います。

 

伊勢崎賢治の戦争

一人目は伊勢崎賢治さん。東京外国語大学の教授で、東ティモールシエラレオネアフガニスタンでの紛争解決、主に武装解除などを担当するDDRの専門家です。

まず、伊勢崎さんの話から現在の戦争の現実をみていこうと思います。

(以下文章は、基本的に以下リンクからの抜粋・要約です。)

 

伊勢崎さんはまず、国連PKO(平和維持活動)の事例を取り上げて、政府の主張が国際的に通用しないどころか、議論そのものが時代遅れだと糾弾しています。

以下少し長いですが要約しつつ引用します。

 国会ではいまだ「PKO五原則が」とか「停戦合意が破られたら撤退する」とかいう話が出てきますが、そんなのはすでに国際社会から見れば、20年前の議論なんです。

 かつてのPKOは、紛争当事国の合意を得て活動し、停戦合意が破られたら、国連が「紛争の当事者」になってしまうのを恐れて撤退するというものでした。しかし、その結果として1994年のルワンダの大虐殺では、100万人を「見殺し」にすることになってしまった。

 (これをうけて)PKOのあり方も大きく変わってきました。当事国の同意や停戦合意とは関係なく、とにかく「住民を保護する」ことがPKOの最優先任務とされるようになってきた。

 それは内政干渉にほかなりません。「住民を助ける」ということは、本来であればその国家の役割。でも、その国家自体が住民を虐殺しているような場合は、国連が本来の国家に代わって「武力行使」する。つまり、戦時国際法もしくは国際人道法上の紛争当事者になるということ。住民を攻撃する勢力に対しては、たとえ自分たちが攻撃されていなくても武力を行使するのです。

               〜中略〜

 それが今のPKOの現実です。住民を守るために送られているのに、それができないなら最初から来るな、の世界になっているのです。だから兵を出すのは、その国の内戦が密接に内政に絡んでいる周辺国です。昔であれば、これはPKOの「中立性」を損なうという考え方だったのですが、現在は目的が「住民保護」なので、より既得権益感を持って「真剣に」戦ってくれる国の部隊の方が有効、というふうになっている。

として、政府や議員の国際社会との認識のズレを指摘しています。また、

 現代の戦争は、正規の軍隊同士のものではない「非対称戦」です。これは、国連PKOの世界でも、「非国連総括型」と今回の法案で呼ばれる、グローバルテロリズムを想定した有志連合型の軍事作戦でも同じです。民衆の中に敵がいる。笑顔を見せていた住民が、次の瞬間に撃ってくるかもしれない。これが自衛隊が送られる現場なのです。なのに、彼らの置かれた立場に対して国民の理解も、政府の支えもまったくない。

と、紛争地域の現状を理解しないまま自衛隊の活動範囲だけをいたずらに拡大することに憤りを見せています。

SEALDsミキの戦争

続いては、2015年6月27日に渋谷ハチ公前で行われた、SEALDs(=自由と民主主義のための学生緊急行動:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)の戦争立法反対集会で訴えたミキさんという女性のスピーチからです。

(これも以下リンクからの抜粋・要約です)

彼女は3年前にアフガニスタンに行き、数ヶ月をそこで過ごしたそうです。その時の経験を、心のうちからまっすぐ出てくる言葉を、以下に引用したいと思います。

 アフガニスタンでは、長い紛争によりインフラが破壊され、国内では簡単な治療も受けられない状況にあります。亡くなる子供も少なくなく、治療をしに来られる子はまだ幸運な方と言えます。怪我や病気があっても彼らはとても元気で、尊重されるべき命で、決してかわいそうな存在ではありません。

 手足がなくても、顔に火傷を負って差別されても、子供たちは助け合い、大抵のことは自分たちで出来るようになります。けれど時間はそうはいきません。もっと色々な経験ができたはずの時間が治療やリハビリに費やされています。そして、大切な成長期に親元にいられないことや、恐怖や憎悪の記憶は彼らの心にしっかりと刻みつけられているのです。怪我や病は確実に彼らの可能性を奪っています。これが、これこそが、報復戦争の結果で、戦争の現実にほかなりません。

 子供たちがあんな思いを今しているのは、「アフガニスタン人だから」ではなく、憎悪にかられた武力行使のせいでしょう。それさえなければ彼らがあんなに苦しむ必要はなかったでしょう。私が出会った子どもたちの人生は、物語でもないし美談でもありません。アフガニスタン人が傷つくことは普通じゃないし、そんなことはあってはならないんです。彼らがこれ以上傷つくことを私は許せないし、日本人がそれに加担し、私自身がその責任を背負いながら、彼らにまたどう向き合っていけばいいのか分かりません。

               〜中略〜

 アフガニスタンには大切な小さな友人たちがいます。彼らやその家族を日本人が、日本人の作った武器が、傷つけることに私は耐えられません。この国の平和と国民の命を守るために、友人やそのまた友人が戦地で傷つくことに私は耐えられません。

横山卓典の戦争

三人目は、僭越ではありますが、私の戦争を語らせてもらおうと思います。

 

今から10年前の2005年、交換留学という形でオーストラリアに1年間留学に行きました。高校2年生の時でした。

留学期間も終盤にさしかかり、随分英語も話せるようになったころに、学校で仲良くなった友人が「1ヶ月間うちに来なよ」とホストファミリーの申し出をしてくれ、私は喜んで承諾しました。

 

彼の家での生活が始まるその初日、家族のみんなに挨拶をしている時でした。

唐突に、

Bloody Japanese...(クソ日本人...)

と言われました。

発したのはその家の90歳近いおじいさんでした。

唖然としていると友人含めまわりの家族たちが、

「ごめんね。おじいさんぼけてきていて、第二次世界大戦に出兵して日本を相手に戦っていたこともあってこういうこと言うのよ。ほんとに気にしないでね。昔は言わなかったのよ。」

とフォローしてくれました。

その後も、おじいさんは私を見るにつけて、

「Bloody Japanese, Shoot Them(いまいましい日本人達め、撃ってやる)」

などとつぶやいていました。

(救いはyou=おまえ、ではなくthem=やつら、と言っていたこと)

彼の言説によって傷ついたりしたわけではありませんでしたが、90のおじいさんの頭に今なおこびりつくように残り続けるその時の記憶や経験に、戦争というものが人に与える影響の大きさを感じずにはいられませんでした。

これから

これらの文章から戦争や紛争が遠くの国のお話ではなく、案外近いところにあると感じてもらえたら、またそんな案外近くにある(にはあって欲しくはないけれど)戦争や紛争のことを、戦地に赴きもしない人たちが正しい認識ももたずに話し合い決定されて言っているということを、少しでも感じていただければ幸いです。

 

大事なのは、まず戦争や紛争に対して現実味を持つことだと思います。

それこそ小さい頃におじいさんやおばあさん、おとうさんやおかあさんから戦争時代の話を聞いた(聞かされた)人も多かったろうと思います。

先の大戦については、もう直で話しを聞けるチャンスが限られてきています。

そんな中、彼らの証言を今の内に映像で残しておこうという素晴らしい取り組みも行われています。

そのリアリティを自分の中で受けとり咀嚼し、そして出来る形で、戦争がいかに悲惨であるか、悲劇であるかを発信し、伝えていくことが重要なのだろうと思います。 

最後に

伊勢崎さんが非常に興味深いことをおっしゃっています。その引用をもってダラダラと書いてきたこの文の終わりとしようと思います。

 ただ、実際には今の国際社会が必要としているのは、「火力の増強」ではありません。通常戦力を増強するだけではグローバルテロリズムに勝てないというのは、アメリカがすでにアフガニスタンで建国史上最長の戦争を戦い、証明しています。

 そのアメリカは2006年、軍事ドクトリンを20年ぶりに書き換えて、戦争に勝つには強大な軍事力だけではなく、民心の掌握が必要だとする「COIN(Counterinsurgency Field Manual)」という戦略を打ち出しました。この「民心の掌握」という非軍事の分野で、マッチョなアメリカが分かっていてもできない役割を、日本は「主体的に」できるはずです。国連PKOでも、一番日本に向いているのは、中立・非武装の国連軍事監視団だと思います。いまや、武装した自衛隊を海外に送るニーズはないのです。

 そのように、日本の強みを生かして、アメリカやその同盟国がやれないことを、補完的に担っていく。それは我々にとっての何よりの国防にもなると思うのです。究極の国防とは、やたらに勇ましいことを口にすることでもなんでもない、「敵を減らすこと」なのですから。

※強調部は引用者による 

 

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