「ちょこざいなっ!」

お酒を飲みながら日々の雑感をダラダラとつづるブログ

肥料と農薬の話

数日前に大学の同期2人と飲みに行きました。

2人とも同じ農学部で彼らは修士課程を修了した秀才達です(私と違い)。

1人は有機野菜の販売をする会社に、もう1人は(主に花の)肥料を製造するメーカーに勤務しており、話は必然的に化学肥料や農薬の話に引きつけられていきました。

 

農薬に関する危険性は『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著/1962)の発刊により世に広く知れ渡ることとなり、日本においても『複合汚染』(有吉佐和子著/1979)の出版は四大公害の問題が顕在化したという当時の世相と相まって、農薬に対する危険性を強烈に喚起し、有機農業を敷衍させるなど少なくないインパクトを与えることとなりました。

 

えっ?そんなどうでもいいことごちゃごちゃ言うなって?

もう少しばかりお付き合いください。

 

その後も輸入作物のポストハーベスト問題や、食品偽装問題など食に関心が集まる中、次に危険性を指摘されることとなったのが化学肥料でした。

有機肥料との対比であえて『化学肥料』と書いておりますが、めんどくさいので以降は単に『肥料』と書きます。)

肥料に焦点があてられるようになったのは、青森のリンゴ農家である木村秋則氏が出版した『リンゴが教えてくれたこと』(2009)がきっかけであろうと思います(あとはインターネットの普及)。

木村氏はご著書で、

「作物を作るにあたって土と作物が健康であれば肥料も農薬も必要ない(大意)」

と主張されており、自然のままに育てる"自然栽培"は可能であるとおっしゃっています。

私自身、初めてこの本を読んだ時の衝撃は大きく、当時のレビューを読み返すとどっぷり心酔している様が伺えます。

その後、肥料が瀰漫した過程や土や作物に与える影響を知るに連れ、

「えっ、肥料って必要ないし良くないよね。。。」

となっていったわけですが、肥料の不必要性を説く方も多かれ少なかれ似たような経緯を辿られたのではないかと思います(たぶん)。

肥料の細かい話は、紙幅(もくそもありませんが)の関係上ここでは割愛いたしますが、その"危険性"については一部情報感度の高い消費者を中心に共有され市民権を得つつあるように感じます。

 

ここまでがプロローグです。落語で言えば枕。

非常に長くなり申し訳ありません(これでも抑えたつもりです)。

ここからが本題です。

 

今現在、肥料や農薬について知られているような話が正しいかどうかと問われれば、それは正しいと答えます。

しかしながら、肥料や農薬を使わない農業が中心になるべきだという話に私は与しません。

以下、その理由を日本にのみ焦点を絞ってダラダラと書いていきます。

話が帰結する所は『今のシステムを維持できなくなるから』です。

 

現在のような農業の形になったのは戦後からです。

JAが組織され生産物の総量が把握・管理できるようになり営農に必要な物資もJAを通して届けられるようになり、均一の大きさ、均一の品質、均一の栽培期間を保つために『これが答えだ!』的な栽培マニュアルが作られることとなります。

農薬を与えれば病害虫はなくなり、肥料を与えれば作物はすくすく育つため、

農家にとっては『収穫できない』というリスクを、

中間業者にとっては『必要量が揃わない』というリスクを、

見事低減させることに成功します(裏付けをとってないので違うかもしれません。が、たぶんそう)。

 

技術的な発展、そして流通機構の発達も相まって、食品産業はドラスティックな変化を迎えることとなります。

食品産業の変遷に伴い、食の在り方や捉え方が一変します(これも裏付けをとってないので違うかもしれません。が、たぶんそう)。

外食産業調査研究センターによる調査によると、1979年に28%前後であった食の外部化率が2007年には42%強と1.5倍に押し上げられています。

これは毎日食べる3食のうち、1食以上は外部で調理されたものを食べているということです。

さらに言えば中食(お惣菜やお弁当など)・外食をほとんど活用しないという人であっても、ほとんどすべての人が現在の生産、物流システムに依拠したスーパーマーケットで食料を購入しています。

つまり、ほぼ全員の毎食が現在のシステムに依存しているということであり、農薬や肥料に頼った農業抜きに私達の今ある形での食は維持できないということです。

 

このような社会状況の中で消費者たちは、「農薬・肥料は使うな。しかし、食の不便は甘受できない。」と主張するわけです。

「どっちやねん」

というのが食品産業関係者たちの偽らざる気持ちです(たぶん)。

 

しかしながら、資源の枯渇や環境への影響が叫ばれる中このまま放置しておいていい問題でもありません。

キーワードは『適量・割合・相互理解』です。

 

これまで肥料や農薬に対して反発が強かったのはそれは偏に過剰だったからだろうと思います。

生産のリスクが経営のリスクに直結する農業では、定められた量よりも少し多く農薬をふり肥料をまくのが常でした。その少しの積み重ねが様々な弊害を生じてきたことを疑う余地はなく、その反省をもとにいわゆる有機農業等が勃興することとなります。

過剰散布をやめ適量を心がけること。これがまず必要だろうと思います。

 

その有機(減農薬、自然栽培等の"自然にやさしい")農業で生産される作物を求める人が増加していることも事実なわけで、現在のシステムに大きな影響が出ない範囲で割合を逓増させていく努力を社会として行う。これもまた重要な事であると考えます。

(ただ、今のシステムを維持するということを前提とすれば、有機農業が全生産量の50%以上となるようなことはないだろうと考えています。)

 

そして、何よりも大事なことは生産者が消費者を知り、消費者が生産者を知ることです。

消費者は生産者の現状やリスクに対する恐怖を知る必要があると思いますし、生産者は消費者が何を忌避するか何に恐怖しているのかを把握する必要があるでしょう。

互いの権利主張を止め歩み寄ることができれば、食という必要不可欠な分野で幸せな関係が築くことができるのではないかと思います。

 

ここまでダラダラと書いてきましたが、

「じゃあ結局、肥料・農薬はなくした方がいいの?それとも使った方がいいの?」

と問われれば、

「なくした方がいいしけれど、使うことを悪とするべきではない」

と答えるでしょう。

 

「どっちやねん」

というのが読者の偽らざる気持ちでしょう(たぶん)。

(上手くまとめた気でいる)

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