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「ちょこざいなっ!」

お酒を飲みながら日々の雑感をダラダラとつづるブログ

挨拶はなぜ必要なのか

挨拶って不思議だなーと思ったことないですか?

「ほら、挨拶してっ」と親に促されてる子をよく見るし、

社会人になればしきたりの第一義だと言わんがばかりに教えこまれるし、

お年寄りになっても挨拶したりそれを促されたりしている人をよく見る。

 

挨拶できないことが

まるで悪いことかのような

人として出来ていないかのような

そんな雰囲気が社会には少なからずあると思います。

 

なぜ挨拶がそこまで重要視されるのかずっと不思議だったのですが、

今日氷解したので以下備忘録的にダラダラと書いておきます。

(そんなダラダラにならんかもなー)

 まずこの話の始点に、

(たびたび引用している)内田樹の言である

「人は贈与を認識した瞬間に返礼義務が生じる」

を置きたいと思います。

『人は誰かから何かを受け取った時、

それを返さずにはいられない』

というのが返礼義務です。

内田樹はこの返礼義務を

「人間が人間たらしめているもの」

と指摘しております。

彼がそう言っているので、

ここは無垢に信じておこうと思います。

つまり、挨拶をされると、

挨拶を返さずにはいられないというのが返礼義務です。

確かに挨拶されたのに返さなかったり、

逆にしたのに返してもらえなかったりするとムズムズしますよね。

 

それはわかるけどなぜそれがそこまで重要性を帯びるのか。

 

ハンナ・アーレントは、

「愛とは、わたしはあなたが存在することを欲するということである」

と言っています。確か。

君あり、故に、我あり。

みたいな感じでしょうか。

(サティシュの本読んだのに全然内容覚えてないや)

それはいいとして、これがキーになります。

 

話を戻します。

 

挨拶は自分一人では成り立ちません。

相手がいて初めて成り立つものです。

つまり挨拶をする時、

挨拶をする相手が"そこにいてくれないと困る"わけです。

だって相手がいないと成立しないから。

それはつまり、「あなたの存在を欲する」ということになります。

 

人間は社会的な動物であるため、

『社会のメンバーの一員』になることが、

生存戦略上非常に有利であることは疑う余地がありません。

『社会のメンバーの一員』であるということはつまり

「あなたの存在が(その社会で)欲せられる」ということです。

よって挨拶は、社会の構成員であることをお互い確認し、

互いが必要であるということを認め合う作業になります。

 

つまり、挨拶をしない、もしくは返さないということは、

その構成員から外れるということの表明であり、

それは生存可能性を著しく低下させることになります。

だから、挨拶は大事なんだよね。

ということを感じ取った瞬間でした。今日。

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