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「ちょこざいなっ!」

お酒を飲みながら日々の雑感をダラダラとつづるブログ

自分の弱さと向き合う

ある飲み会の席。

いい調子で飲んでいると泥酔してしまい

本当に不必要でかつ無神経な発言をして

人を傷つけてしまったんですよね。

私。

その時の記憶はなくって

後から同席者が教えてくれたので

その"こと"を知りました。

 

いつの頃からかうまくお酒のセーブをできなくなっていて

(大学時代はできてたんですよね)

それゆえに色んな失敗をしてきました。

こんなままじゃいけないなーということで

ようやく酒に飲まれてしまう自分の

    "弱さ"

と向き合おうと思えました。

 

ここから繰り広げられるのはただの自分語りです。

そんなものをわざわざネット上にあげるのは

自分自身がいつでもアクセスしておきたいということと

もしかしたら他の誰かも似たように悩んでいて

もしかしたらこの記事がその誰かの一助になるかもしれない

という想いもあいまったがゆえのことです。

お目汚し失礼します。

 

 

何かしら失態をおかした時って居たたまれなくなりますよね。

私はお酒を飲み過ぎて記憶がなくなることが多いのですが

酔った勢いで電話をかけることが多いです。

女性に。

なので、翌日の通話履歴を見るのが非常に怖いです。

さらに女性と飲みに行った場合なんかは

ウザく絡んでたりもするので(当然記憶はない)

同席していた人から来る連絡は恐怖以外の何物でもありません。

 

今回もそのケースでした。

同席していた方から連絡があり、

「無神経なこと言ってたよ」

と報告を受けました。

目の前が真っ暗になり居たたまれない思いになりました。

後から後から負の感情が湧きあがってきて

逃げ出したい、隠れたい、そんな気持ちになりました。

その気持ちを押さえつけながら平静を装ってみますが

ふとした瞬間(それもかなり頻繁に)、思い出し

やはりいたたまれなくなるんですよね。

「自分がしでかしたこと」であるから辛い。

最悪の気分でした。

(もちろん最悪なのは"された"方なんですけれど)

 

こんなこと毎回繰り返しててはいけない。

ちゃんと自分の"弱さ"と向き合わないと。

と思いながらも、

この気持ちとどう向き合えばいいのか

どう対処していいのかわからなかったんです。

そんな時に時出逢ったのがこの動画でした。

自分が傷つけたにも関わらず"傷ついてる"感じだったんですよね。

タイトルにすごく惹きつけられました。

ブレネー・ブラウン:傷つく心の力 | TED Talk | TED.com

www.ted.com

すごく興味深い内容でした。

彼女はVulnerability(=脆弱性、もろさ、傷つきやすさ)こそが重要だと解きます。

Vulnerabilityは弱さとは違う。

Vulnerabilityを示すことが必要だ。

Vulnerabilityが…

Vulnerabilityに…

みたいな話をしてるはずです。確か。

こっちの話はこっちの話で面白かったんですが

より深く知りたくて買いました。著書を。

 

本当の勇気は「弱さ」を認めること

本当の勇気は「弱さ」を認めること

 

 

同年9月に出された別の著作があるのですが

個人的にはこちらがオススメ。

一気に読んでしまいました。

「自分の問題が書かれている」と思えるくらい

的確な内容でした。

 

結論から書くと、

原因は『自己肯定感の欠落』であり、

それは『完璧主義』に陥っていたことで

引き起こされていました。

 

私には「こうあるべきだ」

という理想とする自分がいます(いました)。

聡明で、知識があり、的確な判断を下せ、常に冷静沈着で、物怖じはせず、誰とでも対等に接することができ、話題・経験は豊富で、ユーモアがあり…

みたいなリストが延々続くわけです。

そういう人になりたいと思っていたし

そうでない私には"関わってもらう価値がない"と思っていました。

理想通りでない私は"恥ずべき存在"だと思っていたんです。

だから、他人にはそう思われないように、

自分が"恥ずかしい"と思うような話をすることを避けてきました。

いわゆる「弱さを見せる」ような話です。

そうやって鎧をまとい盾をかまえることで

つまり、偽りの自分を作り上げることで、

自分自身は傷つかないようにしてきました。

しかしそうした行為こそが自己肯定感の涵養を阻害していたんです。

完璧を求め続ける限り自身を認めることはできないんですよね。

そもそも「完璧な自分」なんてありえないんだから。

 

自己肯定感とは字のごとく自身を認めてあげること。

「私はこれでいい」「満ち足りている」と思える気持ちです。

社会的な動物である人にとっては

社会での居場所(存在が認められる場所)も重要です。

居場所を得るためには人との繋がりが必要です。

人と繋がることで自身の存在を是認することができます。

この"人と繋がる時"にこのVulnerabilityが必要なんだと著者はいいます。

(微妙に違うかも。まぁいっか。大意です。)

人は、相対する人の"弱さやもろさ"を知ることで

親近感や安心感を覚えたりします。

この弱さやもろさがVulnerability

それをさらすことが重要なんだと著者は主張するわけです。

 

うん。わかる。わかるねん。

けど、それができへんから困ってるわけです。

そんな恥ずかしい自分を見せてしまえば、

「私は付き合うに値しないと思われるのではないか」

という不安がよぎるわけです。

 

さて、この厄介な"恥"というもの。

著者は「"恥"が区別されず"罪悪感"と混同されている」と訴えます。

恥=私は悪い人間である

罪悪感=私は悪いことをした

という区分なのだそうです。

その上で、罪悪感は建設的な方に働くのに対し、

恥は自己への信頼感を蝕みます。

私のケースの場合も、

"罪悪感"であれば

『非常に悪いことをした。謝ろう。』

という方向であるのに対し、

"恥"であれば

『あの時は疲れていたから酔いが回るのも早かったし、そんな深刻になるとも思わなかった。むしろ受け取る側に問題があったのではないだろうか。いやそもそも…』

と、非常に厄介な方向に進んでいってしまいます。

そして回り回って最後は

『そんなことをしてしまう自分』

を責めることになります。

『いや、もっと酷いことをしてるやつもいるはずだ』

と比較し空想の他者を蔑むことで自身を引き上げようと試みたりしますが

自分に恥じ入り、責めることは避けられません。

私にとって、この区別を知れたことはとても有意義でした。

 

かなり強引に論を展開するとすれば、

聡明でもなくユーモアもない私は別に恥じ入る必要はなくて、

それを罪悪感として捉え

「うん。せやねん。ごめん。」

って言えばいいだけの話だったんです。

This Is What I Am(これが私だ!)と

身を晒すことはかなり勇気のいることではありますが

その宣言をしてしまうことで

宣言(自分)→反応(相手)→対応(自分)

という構造になるため自分が主導権を持つことができます。

これが恥じている状態だと主導権は常に相手にあることにあります。

理想的自分だと思っているものを出してみても

相手がどう思っているかはわからないですし

ましてや相手の心情をコントロールすることはできませんから。

(できなくはないですが、それを繋がりと呼ぶかは微妙ですよね)

おかげですごく楽になりました。

これ以外にも、

恥からの回復の仕方とか、外部に潜む恥だったり、

子育てや組織づくりのエッセンスなんかも存分に散りばめられていました。

まったく予定はないけれど子育てすることがあれば

ここで述べられていることには気を払いつつ

楽しくやっていければなーと思います。

余談でした。

 

ちなみに著者は、

『度の過ぎた自己開示』は、

繋がりや関係性の喪失があるとしてたしなめています。

初対面の人に

「いやー、オレ兄弟を事故で失っててさー」

なんて言われたら重たすぎますもんね。

そういうことです。

 

最後に、そしてここが結構重要なんですが、

なぜ『お酒で失敗するのか』ということを取り上げようと思います。

著者いわく

「傷つく心を守る」

ために

「感覚をマヒさせる」

という手段を取るそうなんです。

(わかる)

そのマヒさせるために取る手段が(私の場合)”飲酒”なのですが、

もっとも感覚マヒへの欲求が強くなるのは

”恥”、”不安”、”断絶”が組み合わさったときだそうです。

私の場合、フリーランスとして生きると決めた時、

ようは『就職しなかった』ということが

この3つの引き金になっているのだと気づきました。

きちんと稼げていると言えるのか(=恥)。

これから本当にやっていけるのか(=不安)。

就職した友人たちとの関わりの低下(=断絶)。

といった感じです。

(自分で決めたくせにね)

だから大学時代はコントロールできてた飲酒が

社会人になってコントロールできなくなっていたんです。

ほんとよくわかりましたしすごく納得できました。

原因がわかったので対処はできます。

精神の安寧を確保できるように努力していこうと思います。

 

今回、冒頭で述べた女性に謝罪をする際、

(メールで謝罪したんですが)

『彼女はどういう気持ちだったのだろう』

と、彼女の気持ちをトレースするところから始めました。

その上で”どう謝るか”ということを考えて文章にしました。

できあがった文章は大したものではありませんでしたが…。

謝罪にあたって『相手の立場に立つ』というのは

当たり前の人にとってはアタリマエのことかもしれませんが

私にとってはこれまでにない考えだったし感覚でした。

《謝罪=謝罪の言葉を述べること》

だと思っていたからです。

ほんと浅はかだったなと思いました。

と同時にこんな関わりにくいやつ(=私)と、

これまで関わってくれた人たちに

感謝の念を禁じ得ませんでした。本当に有り難いなと。

 

これまで本当に多くの人に迷惑をかけてきました。

そんな自分と向き合うのがイヤで仕方なかったのですが

自分は自分でしかなく、

それ”以上”にはなりえません。

This Is What I Am です。

まだ”気づき”の段階で、”変化”が起こるのはまだ先だと思います。

今回得たものをエッセンスに

目を背けることなく

自分の”弱さ”と向き合っていこうと思います。

(とりあえず)終わり。

 

 

 

余談の余談。

今回、ほんとこの本から得たものは多かったです。

と同時に、同じように悩んでる人結構いるんだろうなと思いました。

SNS全盛期で”断絶”を感じるのなんて容易いことだからです。

気になった一文を載せます。

フェイスブック上では何百人も友だちがいて、仕事仲間や実生活での友人、隣人にめぐまれていても、なお私たちは孤独を感じ、誰も見てくれないと思ったりする。」

(わかる)

心が傷つく機会が多いからこそ、その対処法を知っておくことは重要だと思います。

掛け値なしにオススメできる一冊でした。

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