「ちょこざいなっ!」

お酒を飲みながら日々の雑感をダラダラとつづるブログ

文字というコミュニケーションツール

先日ふと思いついたのが

“文字"でのコミュニケーションは

『熟考されたもの』という前提が大事なんじゃないか。

ということでした。

謎ですよね。

続けます。

 

 

昔のコミュニケーションは

対面 or 文(手紙)

しかありませんでした。

情報技術の発達で電話がでてきて3種類になりました。

インターネットが発達した現代でも

それらは基本的に変わっていません。

 

そしてその情報量は

対面>電話>文字

の順に少なくなっていきます。

対面であれば表情の微妙な変化

電話であれば声のトーン

など発される言葉以外に情報を与えてくれるものはいくつもあります。

が、文字は書かれたそのものを読み取るしかありません。

例えば、

 

「何を考えているんですか?」

 

と書いてあった時(例題としてはよろしくないけど)、

 

疑問 / 困惑 / 怒り / 嘲笑

 

の4つは軽く想定できます。

 

それぞれ文脈によって意味が変わるのである程度特定できますが

ということは文字の場合『文脈』が非常に重要だということです。

よって、それ"以外"の解釈を与えないように、

熟考してかかれる"べき"ものなのだと思います。

 

 

もう少し風呂敷を広げます。

以前ブログにて"一億総ふるえる時代"になったのは

『テレコミュニケーションの発達が原因だ!』

と強弁したことがあります。

ameblo.jp

 

その考えは今も変わっていませんが、

『文字による"簡便な"コミュニケーションツールができた』

ことも要因だと思います。

 

もう少し説明します。

例えば、メッセージやLINEは、

"短文"でのやり取りが主となります。

ということは

"文脈"なんてものは

ほぼないに等しいわけですし

基本的には"反射"で書きます。

反射は言いすぎだけど、

熟考とは程遠い状態。

 

そうなると

様々な思考の"余地"が生まれます。

それが不安を煽り"ふるえる"ことにつながるのではないか。

という、お話でした。

まぁどうかはわからへんねんけども。

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